十年前、全世界に衝撃を与えた高速道路倒壊現場。兵庫県神戸市東灘区深江の国道43号線深江交差点。 ここから南へ数百メートルの所に東灘高等学校があります。 震源地から伸びる最大震度を記録した活断層が兵庫県南部を貫いていました。 その時、大都市は活動を停止し、多くの人が言葉を失いました。
1995年1月17日 午前5時46分51秒
マグニチュード 7.3
震度 7
生徒死亡 2名
生徒負傷 3名
保護者死亡 3名
親族死亡 20名
親族負傷 10名
住居全半壊 451戸
学校の建物、生徒や教職員の住居が全半壊し、尊大な人命が失われました。
1月17日(火)
校舎等被害状況を把握する。生徒及び職員安否を確認開始する。
1月18日(水)
校内対策本部を設置する。AM神戸(ラジオ関西)を通じ生徒へのメッセージを放送する。
緊急物資配送始まる。兵庫県及び神戸市の対策本部へ連絡する。
1月19日(木)
生徒への安否報告を呼びかけるお知らせを避難所へ掲示する。
1月20日(金)
生徒状況のコンピュータへの入力を開始する。
1月21日(土)
NHK(神戸放送局)を通じ1月25日登校を生徒に連絡放送する。
1月22日(日)
生徒に電話を通じ登校連絡、家族安否、制服と教科書の紛失状況を確認開始する。
1月23日(月)
第3学年への進路指導体制を強化する。
1月24日(火)
学年通信「Target21」の原稿を作成する。被災状況を完全に把握する。
1月25日(水)
午前9時30分体育館へ生徒招集する。学年通信及び余震に備える資料を配布する。
地震発生時の校内被災対策状況です。学校は避難所及び支援品備蓄基地として活用されました。
生徒達は自らの手で学校を整備し、近隣の学校を招いて設備を共有しました。
体育大会では近くの仮設住宅の方々を招いて参加して頂き、食堂にて無料で食事をして頂きました。
この取組みは全国に知られるところとなりました。
「東灘高校生のみなさんへ 大変な事態になりましたが、あきらめず勇気をもって行動してください。
学校では皆さんの安否を気づかっています。電話でも伝言でも良いですから、様子を学校に知らせてください。
電話 078-452-9600 平成7年1月19日 兵庫県立東灘高等学校長」
これは、各避難所へ掲示された本校からのお知らせです。
この掲示を見て多くの生徒が励まされました。この体験で多くの生徒が日常の大切さを感じ、
当たり前に感謝したと語っています。
また、家族や地域の人々の助け合いを肌で感じ、身に染みたと語っています。
医師を父に持つ生徒は、父の懸命の救助活動を目の当りにして、
無力さを感じながらも自分に出来る精一杯の救援活動を行いました。
被災した東灘高生は、避難先や郊外から何時間もかけて通学したり、 被災を逃れた同級生の自宅に下宿するなどして本校を卒業しました。 そして今それぞれの道を歩んでいます。この体験は在校生の進路に大きな影響を与えました。 社会事業奉仕活動を推進している東灘高等学校は、社会の実践をいち早く経験することで、 自己目標を明確にすることができ、医療、教育、福祉の分野へ進学する生徒も多くいます。 そして、世界に誇れる復興を願い、その体験を伝えるために体験文集を発行しています。
現在では、自治体によるウォーターフロント整備計画が進み、 2000年には神戸第一学区で震災前の人口を上回るなど、災害に強く美しく住みやすい都市へと変貌を遂げています。 東灘高等学校は1996年に校舎設備の修復を終え、2003年の創立三十周年を前後して構内の改装も順次進められています。 適時推進される教育改革の中で、様々な方々の支えによって、 多くの人々に求められる発展し続ける普通科進学校として成長を続けています。 私達はこの教訓を生かして日々の生活を送っています。 そして自然災害に強い、人と人の繋がりのある街作りをして行きたいと心から願っています。
2006年 東灘高ウェブプロジェクトチーム記